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新京極にある『誓願寺』は芸道上達の寺としても有名

世阿弥作と伝えられる謡曲「誓願寺」の中で和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることから、芸道上達を祈願して「扇塚」に扇子を奉納することになりました。今でも扇子のお守りや絵馬があります。

『誓願寺』

天智天皇によって飛鳥時代に開かれた当初は奈良に建立されましたが、後に上京区へ移り、1591年に豊臣秀吉の命令によって現在地の寺町三条に移りました。

元は三論宗(さんろんしゅう)でしたが法然上人によって浄土宗に改宗し、その後浄土宗西山深草(せいざんふかくさ)派の総本山となりました。

度重なる火災で焼失してしまったため、現在の本堂に安置されている御本尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代~南北朝時代の頃に作られた木造、寄木造布貼の4.85mの座像です。こちらは八幡市にある『石清水八幡宮』に安置されていた阿弥陀如来坐像で、明治2年頃『誓願寺』へ移安されました。

「扇塚」

謡曲「誓願寺」は世阿弥(ぜあみ)作と伝えられていて、平安時代の歌人で才色兼備の和泉式部(いずみしきぶ)と鎌倉時代の僧侶・一遍上人(いっぺんしょうにん)が『誓願寺』の縁起と霊験の物語です。和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることから、「扇塚」に芸道上達を祈願して扇子を奉納することにつながったそうです。

落語の祖・策伝(さくでん)上人

第55世の住職であった安楽庵策伝上人は教訓的でオチのある笑い話「醒睡笑(せいすいしょう)を著わし、落語の祖と呼ばれています。このことも扇子との絆を象徴しているのです。

「迷子みちしるべ」

少しわかりにくいかもしれませんが…写真左側の石柱の正面には「迷子みちしるべ」、右側には「教しゆる方」、左側には「さがす方」と掘ってあります。別名仲人という意味の「月下氷人石(げっかひょうじんせき)」。これは警察のなかった江戸末期~明治中期に迷子が社会問題となり、『誓願手寺』のように各位の社寺などの石柱に建てられました。この石に迷子や落とし物をした時に紙を貼って情報交換をしたそうです。

詳細情報

住所:京都府京都市中京区新京極桜之町453
HP:https://www.fukakusa.or.jp/

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